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えぞももんが

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緑の森


2016/06/23 17:30 えぞももんが

ラジオ深夜便のしっぽより

朝はたいてい 携帯ラジオで
ラジオ深夜便の しっぽの方を 聞いています

4時台は いろんな方の話が聞けます
今朝は先月亡くなられた  作曲家 冨田 勲さんの 
アーカイブス放送でした。

いつもは ラジオを聞きながら ブログを更新したり
家計簿をつけたりするのですが
面白くて じっと 聞き入ってしました。

「きょうの料理」のテーマソングは たった一日で作ったそうです。
昭和20年代のNHKには 劇団横丁という場所があって
そこには 音楽家や作曲家 作家…たくさんの放送関係者が
待機していて 時間が空いているときに 世間話をしていたそうです。
ある日 怖そうな偉い部長さん
「明日から始まる 料理番組のテーマソングを作れ」の、鶴の一声があって
担当者が 劇団横丁に 青くなって駆け込んできて 富田さんに依頼。
初めは 毎回 生演奏だったことも びっくりしました。


子供だった私でも なんとなく 哀愁のようなものを感じた
「新日本紀行」のテーマ曲
拍子木の音を今でも 思い出します
昔 北海道まで 仕事に来ると言えば 夜行列車が一番早かった時代
昼間より 少しゆっくり走る 列車のレールの音は
夏祭りの太鼓の音に リズムが似ていて
そのイメージで  作ったそうです
拍子木を響かるために 非常階段で録音した
エピソードも 想像すると ワクワクしてきました。  



「ジャングル大帝」のテーマ曲
出だしの「ア~~ア~~」の部分、
手塚治虫さんは イメージが違ったらしく 最後まで
難色を示していたそうです
強行突破で そのまま使ったら みんなに評判が良かった。
「でも あの人は 最後まで あれでよかったって 言わなかったなぁ」と
少し笑いながら話す富田さん 

話を聞いていて 昭和という時代は みんなでどんどん作り上げる時代だったこと
ものがない分 知恵を絞ったこと
そして 富田勲さんの あふれ出る才能がすごかったこと
亡くなる直前まで 新しいことが次から次と浮かんで
活動されていたようです

優しさも 茶目っ気も伝わってくる 楽しい時間でした。






母が 七夕の飾りを 40個作りました(笑)
P1040280.jpg
作   実家の母


長男は幼稚園のころ
七夕様の短冊に 「ジュウレンジャーのあか になれますように」と書きました
ちょっと ェッ?となったけど まあいいか・・と思い

次男が幼稚園のころ
短冊に「すいかになりたい」と書いて
まじか??と びっくりしました。 

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Comment
ももんがさん、わたしは今朝の分だけ、丁度、初音ミクとのコラボした曲が流れていて、それだけ聴けました。

常に「今が一番若い」…そんな形容がお似合いな生涯をお過ごしでしたね。
富田さんはたまに、バラエティー番組にも出演されて。
あのハイキャリアなのに、全然、お高くとまった所のない、「理想の大人」でした。
だからこそ、若い感性に敬意を払った仕事ができたのでしょうね。



お母様…40個!
その40個は、惜しげもなくプレゼントされてしまうの?
何処か、然るべき場所へ寄付とか…。
「おかんアート」なら「お気持ちだけでは頂いて…」なんて思うのだろうけど(笑)、ももんがさんのお母様のものなら、お代支払ってでも欲しいよ〜〜!
今朝は 雨が降っています
いつもなら 晴れが多い初夏から夏の北海道ですが
今年は雨が多いです

冨田 勲さん。本当に たくさんの 様々な曲を
残されているんですね
ラジオを聞いて 初めて冨田 勲さんの 人柄に触れました
そう すごい作品をたくさん作っているのに
高慢でなく 話しやすく いろんなことを聞いても
細かく 教えてくれる
そこが すごいと思いながら 聞いていました

シンセサイザー音楽の「月の光」は 日本では
取り扱ってくれるところが無くて
最初はアメリカで 認められたそうです
(こういうこと よくありますね)

もっと 早く  富田さんのこと知っていればよかった
と 思った放送でした。

追伸・・・・母は 「売る」となると 緊張して 手元がくるって とたんに失敗してしまうト言います(笑)